7月15日が釜山に渡るラストチャンスだった。僕自身仕事のキャンセルを続け遠征の継続をしていたのだが、どうしても落とすことのできない仕事の期限が 迫っていた。マイクのほうも所属する英会話学校の社長から頻繁に電話がかかっていた。「これ以上契約先に迷惑をかけることはできない。もうあなたの帰って これる部屋はないわ。」そう最後通告を告げられていた。
幸運なことに15日梅雨前線が南下し海が穏やかになることを天気予報は告げていた。
「15日、これが最後のチャレンジだな。」そう2人で話し合った。
7月14日。巡り合せとは本当に不思議なものだ。今思い出すと海の神様が僕達の運命を導くかのようにこの日まで対馬にとどまらせてくれたと思えてしょうがない。
週明けに韓国税関との交渉を再開するという約束通りライオンハートさんから再び電話がかかってきた。
「日本の税関で出されている書類を至急韓国のほうへファックスで送って欲しい。」
出入国管理局に出向き、出国手続き。旅客名簿や出入国届を税関で作成し指定の番号へファックスを送った。すぐに電話がかかり、なにかが足りないという。英 語でのやりとりなので通関書類などの難しい会話は困難だ。マイクと電話を替わりどうやら税関のスタンプさえあれば良いということなので再び税関へ行きスタ ンプをもらう。心良く追加でスタンプを押してくれた職員に感謝。そして再びファックス。韓国税関でなにかが動いていることは確かだった。
夕方、ライオンハートさんから最後の電話がかかった。
「おめでとう!あなたたちの釜山入港の道は開かれましたよ。」
とうとう許可が出た!手漕ぎのカヤック単独での韓国横断は長くその扉が閉ざされていた。その扉がとうとう開いたのだ。
マイクが韓国海洋警察庁に電話。明日の早朝に釜山に向けて出港する旨を伝えた。
これまでの過剰なほどの日本の海上保安庁の介入に悩まされ続けただけに、韓国税関の許可が出たからといってすんなり韓国海洋庁からも渡航の許可がでるとは思えなかった。しかしその電話口からは驚くべき提案がされていた。
「国境を越えたら我々の船が釜山港コンボイ(伴走警護)しましょう。あとマスコミのクルーが乗り込んであなたたちのことを韓国で報道しても大丈夫ですか?」
事態は勝手に急展開している。どうやら僕達は歓迎されているようだ。なんてこった。今までの苦労は一体なんだったのか。コンボイは必要ない旨、そしてその代わりに2時間ごとに定時連絡を入れることを海洋庁と約束して電話を切った。
正に奇跡が起こったとしかいいようがなかった。これで僕達は強制送還や法廷による裁きを受ける危険性を冒すこともなく胸を張って堂々と韓国を目指すことができる。
僕達は自然と溢れる笑みをこらえることはできなかった。
マイクはガッツポーズをしてなにやら叫んでいる。
「待てば海路の日和あり」
とうとう韓国への横断をチャレンジする日がきたのだ。