カヤックを漕いでいると、海は一枚のガラスのようで、ほぼ同じような空の像が海面に反射し、カヤックが 水をかきわけ進むとき カヤックのへさきから起きる さざ波だけが形をなしていた… そう、そんなときだった。海上保安庁の小型船がまっすぐこちらに向かってきた。状況を説明すると:遠征の間ずっと 海上保安庁は、この旅のことを、特にサポート船をつけずに行っているというで、とても心配していた。福岡で海上保安庁本部を訪れたときに、沖ノ島から対馬のルートを行くことに関して4時間ごとに電話連絡をするのと サポート船をつけるという条件で納得した。僕たちは、もっと安全な宗像から壱岐島へ向かうルートに変更した。そのときに、地方の海上保安庁と連絡を取り合ったが、その際とくに4時間おきの連絡については触れなかった。僕らが出発したとき、地方海上保安庁に 午前10時より前に2回ほど連絡をし、その際に 天気は良好であること、壱岐島につく前にもう一度連絡をするということを伝えた。…オッケー。それで、この船が近づいてきたとき、僕らはおそらく、海上保安庁の船が 僕らが電話をしなかったため、彼らは心配して様子を見にでも来たのだろうと思った。彼らは僕らの写真を撮り、僕らも彼らの写真を撮った。すると彼らは康司に、これは捜索救助船であるということを伝えた。康司はすぐに直接福岡海上保安庁本部に連絡しはじめた。それから突然 頭の上でブンブンとものすごい音がした。康司は電話中だったので 冗談まじりに自分自身につぶやいた。”もしあれが、僕たちを捜しにきた海上保安庁の飛行機だったら笑えるな” 飛行機がまっすぐの軌道をまっすぐにすると、まっすぐ僕たちに向かってくるのが分かった。こんなの…予想もしてない展開。
約30分の海上保安庁との電話のやりとりの末、僕たちは、目的地まで無事到達したいという思いと不安で、必死に漕ぎ続け、その場から去った。壱岐島へ近づくと、岩の多い 海岸を通り始めた。あと数百メートル先には僕たちの目標着岸地点が見える、透き通った青く美しい海水の小さな入り江に入ったとき、僕たちはほっと心が安らいだ。この旅にかかった移動距離の合計は42.8マイルで 時間は12時間15分かかった。
海上保安庁の救助について :僕たちが、こまめに連絡を入れるというやり方をとる海上保安庁に対し、彼らに捜索救助活動をさせる事態を作ってしまったのには いろいろな要因が伴って起こってしまった事態である。結局のところ 僕たちは、4時間おきに電話連絡することについての問題について、遠征中、自分たちは、他にも様々な人と連絡を取り合わなければならないし、衛星電話の電池がなくなる可能性があり、重要な連絡を取れなくなる恐れがあるというという問題をできる限り理解してもらえるように話をした。海上保安庁側は、僕たちがどんな状況にあろうとも、彼らの要求は断固として変わらず、僕たちは彼らの方針に従わなければならないと主張してきた。同じように、商業船ともこまめに連絡を取り合うように主張してきた。
最後に、僕の個人的な怒りについて、僕は前もって Delorme Satellite tracking device というGPS装置を購入する予定だった。これは世界中いつでもどこからでも、誰でも僕たちのGPSにアクセスでき、居場所を確認できるというものである。これなら海上保安庁も好きなときに好きなだけ僕たちの居場所を確認することができる。しかし、GPS装置は日本の大手の携帯会社ではライセンスの問題や、イリジウム衛星通信とういうことで日本では特別な許可がない限り、これを違法としているのだ。そして皮肉な事に、日本の法律上、もし僕たちがこの装置を利用して、彼らが僕たちのカヤックからこれを見つた場合、彼らはこれを押収しなければならなかったのだけど、僕はこの装置のことを海上保安庁に話したのだが、驚く事に彼らはこのすばらしい機能を持った装置の存在を全く知っていなかった。