7月11日、比田勝の支所のパソコンを貸してもらい天気予報チェック。7月13日に再び好天が訪れることを伝えていた。13日の出発に向けて準備を進める。
釜山横断で一番懸念していたことは対馬海流の影響だった。朝鮮半島と対馬の海域はちょうどじょうごのような形をしており僕達が渡る最短距離は最も海流の影 響を受ける区間だ。九州大学がリアルタイムで表層の流速図などを発信しているサイトなのもあったがやはり頼りになるのは現地を知る漁師の情報だ。
比田勝は国境近くまで操業する漁船も多いとのこと。ちょうど漁から戻ってきたらしい漁船があったので声をかける。ちょうど食事中だったのだろう。茶碗を手にして船倉からにゅっと真っ黒に日焼けしたまだ40代くらいの船長が顔を出してくれた。
「実はあさってカヤックで韓国に渡ろうと思っているんです。海流や潮流の影響など教えてもらえませんか?」
「ん~?カヤックで、、、。13日は大潮やぞ。相当流れが速い。」
「どのくらい出そうですか?」
「国境から北は分からんけど満潮から時計回りに回る。海流が重なれば引き潮で北東方向に相当引っ張られるぞ。伴走はおるんやろ。」
「いや、いません。」
「なに!ちょっと船のれ。てっきり漁船を横につけるもんと思うとった。こりゃしっかり教えないかんわい。」
船長はそういって潮汐表を引っ張り出し携帯の天気予報も見ながら熱心に潮周りを教えてくれた。海流もそうだが船長によると潮流の影響と重なるとかなり良くない状況になるという。できるなら小潮を狙ったほうがよいとアドバイスをもらいその場を分かれた。
13日に出るなら横断ルートをもう一度練り直す必要がありそうだった。
脇本さんの経営する食堂に戻ると脇本さんがあわてて僕達に言った。
「茂木浜で会ったあの韓国人のおじさん。あの人が至急電話して欲しいと今電話があったんだよ。なんだか入国のことで話がしたいって!」
正に晴天の霹靂。あの立ち話をしただけのおじさん、ライオンハートと名乗る人から連絡があるなんて思いもしていなかった。ライオンハートさんはアメリカに住んでいたことがあるらしく英語が流暢だ。マイクは指定された電話番号にスカイプで電話をした。
マイクが電話口で話しながら「リアリィ!?」「アメージング!」を連発している。きっと良い知らせだ。胸がドキドキと高揚するのが分かった。ようやく電話を切ったマイクが日本語でいった。「スッゴイ!!」いったい何がすごいのだ、早く言え。
「入国の許可が出そうだってさ!!」「やったぜ!」
僕達は二人でハイタッチをした。まさに絶妙のタイミングだった。ライオンハートさんが何者かは今でもわからない。だけど僕達のために相当奔走してくれているようだった。
しかしその日の夜に僕の電話に国際電話がかかってきた。ハハノさんと名乗る流暢な日本語をしゃべる韓国の女性からだった。
「ライオンハートさんから頼まれて電話しています。あなたたちの入国の手続きはうまくいっていたのですが最後の税関がどうしても許可を出さないようです。カヤック単独では認めないって。カヤックとはヨットのようなものではないのですか?」
僕は落胆した。話は僕達がいままでやってきた答えと一緒だった。船舶登録が必要。書類が欲しいということだ。しかしそれは不可能なのだ。
「ハハノさん、僕達は13日に向かおうと思っています。天候は待ってくれません。」
「もう少し待てませんか?今日は金曜日です。週末に入ります。あと3日待てればまた月曜日に交渉ができます。」
まんじりとしないまま電話を切った。つかの間の歓喜だった。2人は夜道をとぼとぼと歩きながら無言でゲストハウスに戻った。
7月12日。朝からゲストハウスでダラダラと過ごす。梅雨前線が北上してきたようで13日の天候が変わっている。
出国の手続きは韓国からの高速船でやってくる韓国人観光客の手続きが終わる午後2時くらいに指定されている。明日の朝出艇できるかどうか微妙であったが出 入国管理局で出向き出国スタンプを押してもらう。脇本さんの車で佐護シーランドまで送ってもらい艇庫に保管していたカヤックを出して出発準備を進めた。目 の前の海は凪いでいる。明日はどうだろうか?僕たちに残された時間はもう数日しか残っていなかった。
13日早朝。風が向かい風になる北に変わる。雨が夜中降り続き出発時刻の5時になっても雨足が強まってきた。朝から2度も脇本さんは佐護まで来てくれてい た。比田勝から佐護まで40分はかかるのにだ。8時ごろこの日の出艇を取りやめた。脇本さんの車で比田勝まで戻り出入国管理局に出向い出国取りやめのスタ ンプを押してもらう。また帰ってきたのかという表情で迎えられたがしょうがない。カヤックの横断とはこんなものだ。彼等も今後のために知ってもらっていた 方が良い。
韓国が見えるという丘に脇本さんに連れていってもらった。天気が良ければ韓国の山並みや夜には夜景がみえるのだという。どんよりと雲が垂れ込め韓国を目視 することはできない。でもたしかにこの50km先には大陸があるのだ。たった50km。これほど遠いものだとは思わかなった。
マイクが暗い顔をして言った。
「僕達は99%山口に帰ることになりそうだよね。」
後日談だがマイクはこのときこれまでの一年の準備が走馬灯のように駆け巡っていたらしい。いつもポジティブな思考で賑やかなマイクだがこのときばかりは少 し感傷的になっていたのだろう。この遠征の発案や準備の中心を進めてきたのも彼だ。その苦労や重圧も理解できる。しかしそれを決めるのはまだ早い。
「いや俺はそうは思わないよ。まだチャンスはある。」
どこまで待てるか、そして辛抱できるか。海を往くことに関してはそれが成功の鍵だと僕は思っている。