韓国の海上保安部に連絡よし
日本の海上保安部に連絡よし
向こう9時間から10時間の天気も良好
いよいよ、やってきました。私たちはカヤックを海辺に降ろし、コックピットに乗り込み、出発です。まず対馬海峡までの間は、強い海流に向かって北西へ舵をとりました。 こうした理由は、韓国側へ横断するときの海流に乗るためで、残り半分の旅をより楽になるようにするためです。
佐護港を出発した時には、まだ私はもしかしたら、波が強ければ引き返さなければならないかもしれないという事にドキドキしていました。波がカヤックの先端にあたり、1時間あたり、7キロ進むのが難しいと分かり、もしかしたらと思い始めました。 最低限のスピードで進んでないことはわかっていました、でも失敗するわけにはいかないと、私は自分の力を全てだし、漕ぎました。1時間が過ぎ、康司が、2時間いこうと言いました。つまり、私たちの通常の休憩をせず、先へ進めようということでした。考えることもなく、大丈夫だから、やろう!と康司に伝えました。このことが、康司に、私たちが1時間に7キロ進む力があると自信を与えることができたのではないかと思います。
2度目の休憩の後、康司は、韓国の方へ向きを変えたのです。まさにこの瞬間を待ちわびていました。もう引き返す必要はありません。ただ、私たちのゴールに向け、ひたすら漕いでいくのみです。
韓国側に入り、釜山港を目指していましたが、船の行き交う多さに、私たちは本当に気をつけなければいけませんでした。多くの船が、それぞれ別な方向に向かっており、その多くが、霧や風で、どこに船がいるのか、見たり、音を聞いたりすることができませんでした。さらに船の量も増え、港に近づいたところで、真後ろで大きな警笛が鳴るのを聞こえました。振り返ると、大きな韓国水上保安部の船がいました。私たちの安全を確保してくれていると分かり、写真を数枚撮り、そして彼らの後ろにつき、漕ぎ始めました。
まず韓国で初めて見た景色は、はるか遠くに見える山々と、数キロ先にある灯台でした。私たちは釜山港に向けて進み続け、灯台の辺りまで近づきました。その時です、まだ距離は離れていましたが、一隻のボートが私たちにちかづいてきていました。康司は、私たちのカヤックをひっくり返してしまう可能性があるので、何て愚かなことをしているんだと言いました。数100メートルまで近づいたところで、彼らは向きを変え、私たちの左側にボートを寄せました。そして、カメラマン達が身を乗り出し、私たちにに手を振っていました。信じられない!私はそう康司に言いました。わずか2日前までは、私たちには韓国へ入国するチャンスすらなかったのに、今は私たちのことを韓国のメディアが取り上げてくれているのです。人生って素晴らしいですね。