それは 夜中の3時だった、キャンピングコンロのシューっという大きな音で寝ぼけてぼーっとしていた目が覚めた、康司はご飯を作っていた。僕はラーメン派なので 康司の横でラーメンをゆで始めた、僕たちの小さな間に合わせのキッチンで。時折強く吹く南風が木を揺らす意外は とても暗くて静かだった。康司の目にはまだ少し戸惑いがあった。彼は天気がころころ変わるのが気に入らなかった。それに天気予報では朝には風が止むとの予報だったが まだ時折 突風があることが気にかかっていた。料理を作り終えた僕たちは ヒューヒューと響く風の音を聞きながら、静かに食事をとった。僕は ラーメンをすすりながら これが韓国に渡る最後のチャンスになるだろう、これまで 1年近くにおよぶトレーニングと失業したこともすべて 自分の夢を実現させるために必要なことだったんだという思いが心の中を駆け巡った。 これが ぼくらの最後の試みだ。
朝5時になり、僕は韓国の海洋警察に電話し僕たちは風が止むまでもう少しとどまると伝えた。なかなか物事はうまくいかず何が起こるか予測できない。僕は カヤックの後方に立っている 風でパタパタとはためく 小さなオレンジの旗をじっと見ていた。それは 僕が直面した この旅におけるさまざまな障害や試練を思い起こさせた。僕は腹が立って 旗のところまで行き 風にはためく旗ををおさえて もし風が吹いていなければそうあるであろう状態にし、言った ”これがお前の場所だ”
朝5時半になり、僕は康司のところに歩み寄った。彼は雲や 海、風になびく木などを確認している。彼は頻繁に携帯電話を取り出し、対馬/釜山の天気予報の更新を常にチェックしていた。彼は集中を解き、僕の方を見て言った。“よし、行こう”