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康司の遠征日誌 11

ここで今回の遠征のための安全装備について明記しておきたい。
海上で外部との連絡をする手段として今回は衛星携帯電話を携行した。携帯電話はソフトバンクを持っていたが海上や諸島部ではほとんど役に立たなかったと いってよい。携帯電話ならドコモが通話範囲が広い。沖ノ島にまで電波塔がたっており漁師や島民はほとんどドコモを使用していた。
あとアメリカなどでは主流になっているサテライトトラッキングシステムの導入も検討した。
Delorm社のinreach2という製品で携帯電話サイズの小さな機器だ。衛星に電波を発信し第三者がパソコンなどから常に所有者の位置を確認できる優れものだ。機械も安価で契約料も手ごろであることから海外からのバックパッカーなど使用している例も多い。
だが国内での使用は電波法に抵触する恐れがあり実際は違法と判断される可能性が高い。
海上保安庁に事前に確認したところ「我々は救助機関でもあるが違法行為の取締機関でもある」との回答だった。つまり違法電波を発見した場合は検挙しますということだ。
今回の遠征の安全装備を検討する際にDolorm社からスポンサーとして製品の提供を受ける話もあったが、そういった国内事情により断念せざると得なかった経緯がある。
このシステムがあれば海上保安庁も容易に僕達の位置を把握できるはずだし、僕達にしても日本国内の高額な機器と契約料を払わずとも安全を確保できる。そもそも国内のイーパブは機器も大きくカヤックには適したものではないし追尾システムとしての機能もない。
どの業界でもそうだがまだ企業の既得権益による権利独占がまだまだ横行している。一刻も早く利用者の立場にたち優れた技術を一般に開放してほしいと思う。

海上保安庁の立場も理解できる。もし本当に海難を起こした際には頼りになる組織であることは確かだ。しかし海旅を行う際に保安庁に連絡するかどうかは今の ところ個人の裁量に任されていうのが現状だ。カヤックというのは法律上、船舶のくくりには入らない。免許もいらないしもちろん今回の遠征のように海外に だって渡っていける道具だ。普段僕が行うツアーでいちいち海上保安庁に連絡することもないが、毎年行っている祝島~小豆島の瀬戸内横断隊では自主的に連絡 はしているが定期連絡までのことはしていない。
今回の遠征については漂着ゴミ問題を世間に広めるという社会的意義もあり新聞などにも紹介された。そういったこともあり事前に海上保安庁には計画書を提出していた。
しかし出発当日まで特になんの指導もなく角島漁協の連絡により急な介入が始まった。角島漁協の連絡がなかったら彼らはどうしていたのだろうか。
「知ったからには」と彼らは言う。知っていたのになんの対策もとらなかったら何かあったときの責任問題に発展する。「1%でも危険があれば我々は動きます」と彼らは言うがそれは誰のためだろう?これほど安全な国もないかもしれないが、逆に幼稚な思考とも受け取れる。
アラスカを旅した際、国立公園局のレンジャーが旅行計画書を提出してほしいと言ってきたことがある。「何のために?」と聞いたところ「君がもし死んだら捜 索して日本まで送らなきゃならない。そのためさ。」とサラリと答えた。この旅は完全に自己責任なのだと改めて気持ちが引き締まった。
日本という国は自己責任という言葉を許さない。
記憶に新しい辛坊さんのヨットでの太平洋横断失敗に対しては日本中からのバッシングがあった。海やヨットを知らない人々が物知り顔で評価する。果てや冒険に関係のない過去の発言やパーソナリティーに対する悪口までごちゃまぜだ。
いろんな思惑がこの冒険にあったことは理解できる。だが、まずは盲目のセイラ―とともにチャレンジしようとしたその勇気をたたえるべきではないか。批評はそれからだ。
僕が以前ラジオのパーソナリティをしていたときだ。若者が広島の雪山バックカントリーに入り遭難騒ぎを起こした。彼らは持参した食料で飢えをしのぎ小屋を見つけて暖をとり自力で下山してきた。新聞で報道されたのは知事の前で頭を下げて謝罪するそのグループの写真だった。
「よく生きて帰ってきた。堂々と胸を張って帰ってきたらよい。」
そうラジオで発言したところ
「どれだけの人に迷惑をかけたと思っているのだ。若者の無謀な行為が多すぎる!」
と反論のメールがたくさん来た。

無謀な行為と冒険はどこに線引きされるのだろうか。ほとんどの人はその意味さえも分かっていないのではないか。目に見える結果がすべてなのだろう。その背後にあることを想像することもできない。
1%の危険を冒すことのできない日本。そんな社会環境では新たなチャレンジ精神は生まれない。リスクのない冒険などない。リスクや危険と対峙するからこそ 人は考え乗り越えようと努力する。その壁を乗り越えるときにこそ魂はいきいきと輝き人は成長していくのだ。冒険やチャレンジを応援し後押しできる世の中。 それこそが子供達が輝ける未来だと僕は思う。

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