壱岐からは対馬に向けて北に針路をとる。僕達は南風を待っていた。
壱岐勝本はかつての捕鯨の町だ。今もマグロの一本釣りやイカ釣り、曳縄釣りのさかんな漁業の町。手入れの行き届いた漁船が漁港一杯にズラッと並ぶ。生きている漁港の匂いがする。
漁協の壁には「玄海原発再稼働絶対反対」の看板。唐津から近い壱岐ではその意識も高い。自民党支持の漁連だが言いたいことは言う姿勢。いいぞ。さすが島だ。人はみな親切で会話が始まるとなかなか終わらない、そんな退屈しない町だった。
かつてはイルカの追い込み漁をしていたという場所でイルカ保護や観光を目的としたイルカパークという施設がある。島外から来た若い女性たちがイルカの調教や飼育で頑張っている。つかのまの休息がゆったりと過ぎた。サポートメンバーである僕も家族もフェリーでやってきた。
壱岐には結局3日滞在することになった。
6月30日南西の風が吹いた。4時に起床5時15分勝本を出発。再び漕ぎ出す。
斜め後方からの追い波に乗り中盤までは順調に進む。
出発から25km地点くらいから南西への流れを確認する。海流の影響というよりは満潮の潮流の流れの影響を受けているようだ。早いところでは3kmくらいの流れが出ている。
満潮の11時を越えてからは少しづつ北へ針路をとり転流した北東への流れをうまくとらえながら対馬を目指した。
対馬まで残り10km地点くらいから南西の風が強くなり始めた。波長の短いうねりと白波に翻弄されながらも漕ぎ続ける。残り8km地点ほどでようやく水平線に大きく横たわる対馬の島影を確認することができた。
「big island!!」
マイクがそう叫んだ。
16:00頃、沖合から大きな浜が確認できたので上陸する。鶏知湾の対馬グリーンパークという海水浴場だった。
浜で作業をしている人達を見つけてキャンプをしてよいだろうかと尋ねたところ、その人たちは役場の職員だった。福岡から漕いできたという僕達に大層驚いているようだった。
「明日から海開きなんで準備していました。本当はキャンプ禁止なのですがまだ人の少ないので大丈夫でしょう。それより韓国を目指しているなんて凄いニュースです。テレビ局の人を呼んでもいいですか!?」
テントを張りラーメンを食べていると対馬ケーブルテレビの記者さんがカメラを抱えてやってきた。壱岐でも新聞で紹介されたがこういったメディアの影響は大きい。数日後には多くの対馬の島民は僕達が韓国を目指していることを知っていた。
http://youtu.be/kcgVoa_HufI 対馬ケーブルテレビのニュース画像です。