対馬・比田勝ではこの旅最大の懸案に対峙しなければならなかった。
それは韓国釜山へのカヤック単独での入港許可を得ることだった。これまでシーカヤックでの釜山入港は何度か行われていたことは聞いていたがそのすべては伴 走船を伴っての横断だったという。対馬の港を出てカヤックを海に下し漕ぎ始め、釜山入港手前でカヤックを伴走船に乗せる。つまりカヤックは伴走船の手荷 物。そしてカヤッカーは伴走船の乗客としての扱いだということだ。その伴走船の手配にかかる費用は75万円。どうあがいてもその出費を賄える見込みは僕達 にはなかった。
実はこの旅を始める半年前にマイク自ら釜山に出掛けカヤック単独での入港について釜山税関と交渉してきていた。その際は口約束ではあるが大丈夫だという回答を得ていたのだ。
もう少し確約が欲しいということで釜山税関に対して正式な許可が欲しいという要請をメールで何度もしていたのだがその後に返信があることはなかった。しかし出発の10日前になって突然釜山税関からメールが送られてきた。
「もしカヤック単独で入る場合は国際船舶法に基づき国際船舶登録をとり通常の船舶と同じように国際港に入港しなければ認めることはできない。」
なにを今更という感もなかったが急いで国際船舶登録について調べた。日本国内では20トン以下の船舶は取ることができないということだった。では世界では どうかと代理店に頼んでその可能性を確かめた。ほとんどの国が駄目だったがパナマとリベリアでは手漕ぎの船もとれるということで動いてもらった。しかし韓 国にカヤックで渡るという行為が危険だという判断で結局国際船舶登録をとることは不可能だということだけが分かった。
日本出国のほうはどうだったかというと、カヤックで出国することに対しての対馬税関の見解は特に問題のないだろうということだった。カヤックは船舶ではな い。なので国際船舶法に準じることもないので船舶登録は必要ない。韓国への3か月の滞在なら入管審査だけで出国できるという判断だった。
つまり日本は出国できるが韓国に入国ができないという悩ましい状況に置かれていたのだ。
まあそんな状況であっても比田勝でいろいろ動けばなんとかなるさと楽観的ではあった。というのもこれまで僕は何度も国境をカヤックで越えているが国際船舶登録など必要なかったという経験則もあった。
しかしいざ韓国への横断を前にするといろいろ不安が出てこないわけではない。許可のないまま入港を試みたらいったいどうなるのであろうか・・・?良くて強制送還、悪くて拘束されて法廷裁判にまで発展するかもしれない。長引いた場合の仕事はそして責任は・・・?
とにかくできる限りの努力はしなければならないと思っていた。
比田勝に到着した翌日の7月2日からは釜山入港の許可を得るために奔走した。
まずは比田勝の三原さんの友人で佐須奈で民宿を開業されたという韓国人のチェさんに直接韓国語で釜山税関と交渉してもらった。話はすぐに通じたが、手漕ぎ の船で韓国に入国する際の法律は存在せず入国はできない。そしてやはり伴走船を雇い乗客と貨物での扱いとして入国するしか選択肢はないとの回答だった。
多少の出費はやむなしと釜山にある通関代理店にも問い合わせてみた。愛想の良い女性がいろいろと手を打ってくれたらしい。しかし答えは「あなたたちは釜山には入港できません。」だった。さすがにマイクもこの言葉には落胆したようだ。
7月3日も4日の各官庁に電話を手当たり次第かけた。福岡の韓国領事館。釜山の日本領事館。そしてマイクはアメリカの大使館へも。そのどれもが「アメリカ 人と日本人ならどちらも観光ビザで入港できるはずです。ただ最終的な決定権は釜山の税関に委ねられます。もしトラブルがあった場合は我々は動きますが、な にもない段階でこちらから税関に働きかけることはありません。」という回答だった。
対馬市議の脇本さんも個人的に動いてくれていた。日韓交流協会や対馬の副市長を通じて釜山市にも働きかけてくれていたが状況が好転することはなかった。
時間だけが無為に過ぎていった・・・。
7月6日に天候が回復して南東の風が吹き釜山に渡るには絶好の日になることを天気予報が伝えていた。南からは季節外れの巨大台風8号が近づいているようだった。
当初は停滞日も含めて2週間あれば十分釜山に到着できるだろうと予測していた。英語教師であるマイクがとってきた休暇は2週間。6日でその2週間目を迎える。もうリミットが近づいていた。6日を逃すと台風の接近で当分海に出ることが難しくなる。
韓国入港の許可はいまだ不透明ではあったが僕たちは6日に出発する準備を進めた。
現地でいろいろ漁師さんに聞き取りをした結果、釜山へ行く場合は比田勝より対馬北端を西に回り込んだ場所にある佐護港から出港するほうが良さそうだった。
対馬北端は浅い海域で潮もはやく海の難所となる場合が多く対馬海流の影響も考えてできるけ西から釜山をめざすという作戦だ。
7月5日、比田勝三宇田ビーチから佐護へ向けて出港。対馬の北端、自衛隊のレーダー基地周辺は北東からの大きなうねりが押し寄せていた。岩礁にしぶきをあげながら打ち付ける複雑な波を交わしながら北端を回り込み佐護シーランドビーチに入港した。
レンタカーで比田勝まで戻り出入国管理局で出港のための書類を作成する。
入出港届・旅客名簿・臨時出入国港指定に関する通知書(佐護からの出発のため)に記入。約30分くらいの簡単な手続きでパスポートにスタンプを押してもらった。
一応これで手続き的には日本を出国したことになる。
台風の接近でずっと南に停滞していた前線がにわかに押し上げられてきているようだった。梅雨時期の天候判断は難しい。風はそうでもなさそうであったが激し い雨が降ること天気予報は伝えていた。逃げ場所のない中で雷雨と遭遇することはとても危険なことだ。雷からはどうあがいても逃げることができないからだ。
日本から韓国までヨットを回航する仕事をしているチェ船長からラインでメッセージが来た。
「本当にくるのですが?とても心配しています。」
チェさんにも出発直前に釜山の税関に今回のカヤック入港の件で直接交渉してもらっていた。そのときも答えは一緒であった。
「どうなるか分かりませんが行こうと思います。渡航のチャンスはそう訪れません。」
「分かりました。決心は固いですね。釜山のヨットチームに連絡して一緒に伴走します。こちらのヨットマン達と一緒に入港すれば少しは税関の対応が変わるかもしれませんので。」
僕達に関わるということはチェさん達も少なからすリスクを負うということだ。
心が震えた。涙が出るほどうれしかった。海の男の心意気とはこういうことなのだ。