なんのために冒険や遠征をするのかとよく聞かれることがある。「だれもやったことのないことへの挑戦」や「自己探求心」への欲望からだろうか。「そこに山があるから」とはよく言ったものだが、その時期や年齢にもよって動機は様々だと思う。
かつての僕の旅を冒険だとはあまり意識したことはなかったが、広い地球を見聞しながら内なる自分との自問自答を繰り返していたことは確かだ。自我を常に意識し旅の中から個を確立していったとでも言おうか。ソロであることは必然であったしそうあるべきだと思っていた。
そんな僕も帰郷して気づいたら10年の日々が経っていた。ガイド業や冒険学校を開催し地元の海と向き合う内に、海とこれだけ近くそして広範囲にわたり海に 接しているのはシーカヤッカーしかいないとも思えるようになっていた。それだけにカヤッカーは海の環境問題には敏感であるべきだし異を唱えることも当然の 事だと考えている。特に上関原発問題の最前線に立ったことでこの10年はほとんど自主的な遠征に出掛けることはなかった。また出掛けずとも瀬戸内の海の奥 深さに魅了され満足していたのかもしれない。しかしこれから冒険や探検を実行するならば個人的な欲望を満たすだけではなく環境問題をテーマにしなければ意 味がないと思っていた。それほど自然破壊は深刻であるし未来の見通しも暗い。
特に海の漂流・漂着ゴミ問題は深刻だ。陸からはアクセスできない一見美しく見える浜も満潮ラインから上はまるでごみ溜めだ。ペットボトルや空き缶、漁網や フロートなどの漁具、ブラスチック類が折り重なるようにして漂着している。日本海に至っては国際ゴミも含めてゴミの量は瀬戸内の比ではなく無数の発砲スチ ロールが海岸を覆い真っ白に見える浜も少なくない。
例えばペットボトルが分解するまでの期間は約600年。この期間はほぼ永遠といってよい。毎年子供達と環境教育の一環としてビーチクリーンイベントを行っているが、数か月もするとまた同じようにたくさんのゴミが流れ着く。
「この一つのペットボトルを拾うだけでも未来に向けた環境活動だよ。」と言いながら活動を行うが拾っても拾っても流れ着くゴミには途方にくれることもある。
やはりゴミを捨てない、そしてゴミの出ない社会に変革するアクションが必要だと常々考えていた。
マイクの夢である漂着ゴミを訴える国際キャンペーンのための日本~韓国シーカヤック遠征はまさにシーカヤッカーが社会に変革を促す画期的な取り組みであるようにも思えた。
毎週のようにマイクはシーカヤックのレッスンに通ってきた。仕事は山口の英会話学校の先生をしていたのだがダイドックに通うのが大変だと仕事場を周南市の 英会話学校に移してまでトレーニングに取り組んだ。西洋人らしからぬ真面目さと気の遣いようで、夏の繁忙期は僕の仕事を手伝ってくれるようにもなってい た。
目標があると上達も早い。長距離も段々と漕げるようにはなってきた。
だがシングルシーカヤックで日本海を横断する挑戦は相当なキャリアを持っているシーカヤッカーでも簡単なことではない。
僕自身様々なデータを集めていたが海流に逆らったとしてもダブル艇なら不可能ではないだろうという結論に達していた。
海の環境を真摯に考えるマイクの姿は正に共感するものであったし、彼の真面目な取り組みを見ているうちになんとか成功に導きたいと思うようになっていた。
迷ったあげくにある日のレッスンが終わって片づけをしているときにマイクに伝えた。
「君のサポート役としてダブル艇で一緒に韓国に行こうと思う。どうかな?」
「本当に!信じられない!今日が僕の人生の転機となった日だ。一緒に行こう!」
マイクは子供のように小躍りし僕たちはガッチリと握手をした。
こうして僕たちはダブル艇でチームとして韓国を目指すことになった。