〈余談〉
2013年のシーカヤックガイドの仕事も落ち着いてきた10月の後半、思いがけない事故をしてしまった。
夜道を歩いている最中に川に転落し顔面骨折、中心性脊髄損傷という大けがを負ってしまったのだ。
次女が生まれて3日後に、出産した同じ病院に緊急搬送されたのだから今となってはお笑いとしかいいようがない。
医者に親族を呼んでくれといわれたので「この病院にいます。」と答えたところ「お父さんこの大事な時期になにをしてるのですか!」と看護婦に叱られてしまった、、、。
幸い上半身のしびれだけで症状の悪化はなかったのだか2週間後に控えた瀬戸内横断隊も断念せざるを得なかった。隊長としての最初の仕事ができなかったことは今でも無念だ。
思えば2013年は本厄の年だった。年の初めに金毘羅さんに厄払いをしに行ったのだが効果はなかったのだろうか?それともこの程度のけがで済んだと感謝す べきだろうか?金毘羅さんの本殿に続く長い階段の最上階に位置する最も大きな石碑(寄付の額が多い順)にはずら~と「大成建設」「清水建設」「五洋建設」 などなど海の建設会社の名前が連ねていた。僕が戦ってきた企業ばかりなので、もしかするとご利益ないかな?などと冗談で妻と話していたことを思い出してい た。
退院してしばらく自宅療養していたところ、怪我の噂を聞いたマイクは飛んでやってきた。
「僕にできることがあったら何でも言って欲しい」
本当にお人よしで優しい男だ。僕が遠征に参加できるか心配しながらも何度も差し入れを持ってやってきた。
白人でありながらアジア人のような気の遣いようと繊細さ。心配しながらも僕を信じて個人でトレーニングを積むマイクを見ながら、早く全快して安心させねばという気持ちにもなった。
しかし首に不安を抱えたまま2014年新年を迎え、ようやく海に出れたのは怪我から3ヶ月後の1月31日だった。これが初めてのダブル艇でのマイクとの合同トレーニングとなった。
遠征まで5か月をすでに切っていた。