マイクとの合同トレーニングは続けていたが天候不順などによりなかなか長距離パドリングを行うことはできなかった。角島から最初の島である沖の島まで 70km、沖ノ島から対馬までも70km。外洋であること、そして海流の影響も考えると穏やかな瀬戸内では100kmくらい漕げる漕力が必要だと僕は考え ていた。
6月1日にようやく77kmのトレーニングを達成したがまだ漕力が足りないと感じていた。
しかし出発の日は少しづつ近づいていた。
角島を発つ日を6月24日に決定した。梅雨の真っただ中となるが停滞前線の位置次第では凪の日も多い。もちろん梅雨明けに行く選択肢もあったがガイドの繁忙期にあまりずれ込むのも問題だし真夏の無風の海を行くことは熱中症の危険もある。ここ最近の夏の日差しは殺人的だ。
77kmを漕いだあとには2人でのトレーニングを行う日には恵まれず出発を迎えた。
6月23日に出発地となる角島に移動した。翌日の出艇地は観光客の少ない島の北側のビーチが良さそうだった。通常は遊泳禁止となっている場所だけに角島漁協に出艇のお願いに出向いた。
今から韓国にシーカヤックで渡るのだという僕たちに対して組合長は目をまるくして驚いていた。
「浜を使うのは問題ない。だけど韓国に行くような危険な行為に対して責任は持てないし関わりたくない。」
もちろん漁協に対してなにかやってもらおうとか責任を持ってもらうようなことはなにもないが困ったことにこの組合長は海上保安庁に連絡をしてしまった。
対馬海上保安部と仙崎海上保安部には事前に今回の旅行計画書をFAXして知らせてある。なんの問題もないと思っていたがどうやら僕たちの遠征計画は第七管区海上保安本部のほうにはうまく伝わっていなかったようだ。
「角島漁協から連絡を頂きました。あなたたちがしようとしていることは漁師さんも反対するほどの危険な行為なのです。よく考えて出発を取りやめて欲しいです。」
「僕たちは入念に準備を進めてきました。決して無謀なチャレンジではありません。」
電話口から聞こえてくる海上保安官の声が少しづつ荒くなってくる。
「なにかあったらどうするのですか!責任はだれがとるのでしょうか!」
「これは個人の私的なチャレンジです。責任は私自身がとります。」
「あなたたちが遭難すれば私達は出動しなければなりません。社会的責任はどうするのですか!ヨットで遭難した辛坊さんの例をご存じですか!」
「社会的責任をとるという意味がよく分かりませんがシーカヤックが私の生業です。もちろんそういった意味では社会的責任が発生すると思いますし仕事を失うことになるかも知れません。」
「家族は了解しているのですか?」
「サポートメンバーで参加しています。」
「安全装備は!?」
といったやりとりが延々と続く。一人が根負けして電話を切るとまた次の上司らしい人から電話がかかると言った具合に同じ話を何度くりかえしただろうか。
とにかく行かせたくないらしいので
「分かりました。とにかく、まだ行くとは決めていません。明日の朝また決定します。」
とかわして難を逃れた。
メモ帳には明日欄楽しなければならない海上保安庁の番号がびっしりと書き込まれていた。
僕は海に出る前は静かに過ごしたいタイプだ。風の音に耳をすませ海の波長に心を合わせる。海と体を早くフィットさせたいからだ。
しかし僕の愉快な友人・知人たちはそんなささやかなわがままを許してくれるはずもなかった。
夕暮れからキャンプ地に続々と集まって来るや否や酒盛りが始まり僕たちの応援だったはずがいつのまにやら久々に出会う同窓会のようになり宴会は盛り上がっていく。
翌日は3時起きの5時出発を予定していた。7時には就寝するつもりがテントに入ったのは12時。興奮してかにぎやかな声がうるさかったのか3時の目覚ましが鳴るまでほとんど眠りにつくことはできなかった。
まだ暗い中、出艇場所の浜で準備しているとマイクのファンらしい若い女子達もたくさん集まってきており集中どころではない。海気に集中するどころか雑念が 入りまくりだ。もうまるで動物園のサルのような気分である。マイクは愛想を振りまいていたが僕は憮然とした態度で準備を進めるのであった。