サポート船の可能性はなくなった。沖ノ島~対馬ルートを行く場合はまた海上保安庁とのやりとりがまた難儀な問題となりそうだった。
宗像大社からも沖ノ島の上陸許可を頂いていただけに行ってみたい島の一つだったがここはまた別の機会とすることにした。
残るルートは一つ。壱岐~対馬~韓国ルートだった。室町時代から江戸時代にかけて李氏朝鮮より日本に派遣された外交使節団であった朝鮮通信使の船団もこのルートを通って行き来している。いわば韓国にわたるためのスタンダードコースだ。
佐賀の唐津あたりから壱岐を目指すのが距離も近くもっとも安全ルートかもしれなかったが、角島~沖ノ島の横断失敗をしている僕たちにとってはそれを取り戻 す強烈なカウンターパンチが欲しかった。先には更に難しくなる対馬への横断と韓国への横断を控えている。海流の影響の比較的少ない玄界灘横断を避けては先 の横断に対する自信をつけることはできない。地図で距離を計測すると宗像から壱岐北端までは70kmオーバーの横断になる。明日の天候を考えてもチャレン ジしない選択肢はなかった。
道の駅むなかた横を流れる釣川河口に良い浜があった。駐車場にテントを張って早朝の出発に備えた。しかし薄暗くなってから判明したのだがそこは若いカップ ルのデートスポットだった。駐車場には車が増え、浜では打ち上げ花火が次々にあげられる。これはたまらんと対岸に移動して松林の中に隠れるようにしてテン トを張った。時折バリバリと音をたててバイクが走り去ったがなんとか眠りにつくことができた。
朝3時45分起床。朝食を食べて出発したのは5時15分だった。
今日も梅雨独特の低くたれこめたような空。霧がうっすらと世界を包み見通しは悪い。微風追い風、完璧なコンディションだ。
たくさんの船舶が周囲を航行しているのだろう。方々からいろんな種類のディーゼルエンジン音が聞こえてきた。
時速7kmくらいで順調に西に向かって漕ぎ進んだ。1時間に一回、5分程度の休憩をとりながらのパドリング。
午後1時ごろ小呂島を視界にとらえ通過。ほぼ予定通りのルートと時間だ。
南西からの流れに押されているときもあれば西からの流れに押し戻されているときもあった。海流よりは潮流の影響のほうが強いようだ。
午後4時頃、巨大な壱岐の島影をようやくとらえることができた。
そんなときだ。聞きなれた重低音のディーゼルエンジンの音が聞こえてきた。
海上保安庁の巡視艇だ。まっすぐに僕たちのほうへ向かってやってきたかと思うとスピーカーからは停船命令の指示。
何事だろうと待っていると甲板の先端にたった海上保安官が僕たちに向かってこういった。
「海難が起きたとみなして貴船を捜索しておりました!」
「なんだって!?」